〇〇さんに、感謝の花を。
2012年 07月 23日
エミーさんは、CDの完成までご協力いただいた方々の話をしていました。ラジオのこっち側で聞いていた僕は、「でもエミーさん、もう一人、名前をあげたかっただろうなあ」、と。
〇〇さん。このCDになくてはならない、というより、極端にいえばこのCDは、エミーさんと〇〇さんでつくったようなものです。
テレビ・ラジオ・新聞・広報・・・様々なところから取材を受けました。けれど〇〇さんの名前はいっさい出しませんでした。歌詞カードにも。僕のこのブログでさえ、書かない約束でした。
でもこのあいだ、メンバー皆で話しました。名前は出さないまでも、〇〇さんという大きな陰の支えがあったことを、しるしておくべきではないか。ラリアートの活動報告であるこのブログには、せめて書いておくべきではないか・・。
迷ったり難問に直面した時、相談すると、返ってくる答は決まって、「君たちに任せたプロジェクトだから、君たちがやりたいようにやりなさい」。 方法にも表現にも、いっさい口をはさもうとしませんでした。
そして必ず付け加えたのが、「何かあった時は、僕が責任とるから」
(一般論として) リスクをおわない位置から、あれやこれや口出しばかりする人もいるのに、何も言わずただ 「責任は僕が」 という力強いお言葉。実のところ僕とハンセン君は、〇〇さんにお会いしたのは数回で、もっぱらコンタクトはエミーさんだったのですが、エミーさんから伝わる〇〇さんの太っ腹ぶりは、本当に有難く、大きな支えでした。(いつも僕らは、〇〇大明神と呼んでいました)
僕たちバンドさんは、オモテへ出るのが役目です。でもいつか誰かのバックアップに回る時は、陰に徹し切る〇〇さんを見習いたいものだ、とメンバー一同。
「市民がつくった三島の歌」のCDをお聴きくださり、かつこのブログをお読みの数少ない皆様。あのCDには、そんな陰の力があったことを思っていただければ幸いです。
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〇〇様。あらためて有難うございました。おかげで僕たちメンバーもスタッフも、みんな最後までモチベーションを落とすことなく、笑顔で進むことができました。深く深く感謝いたします。