震災と、富士山と、緑のピッチ。
2013年 03月 10日
JFAアカデミー福島。日本サッカー協会が、次世代の男女日本代表を
養成すべく設立した、中高一貫全寮制の教育機関。
中高一貫ということは、小学校6年の時すでに、親元を離れサッカーに賭ける選択をしたわけですね。それだけでも僕なんか信じられない思いですが、移り住んだ福島で被災。
彼彼女らのホーム、J・ビレッジ は自衛隊の前線基地になり、通う富岡高校は、立ち入り禁止区域に・・。
詳しいことは聞けずにいるのですが、彼らも避難所生活をしたのでしょうか? 実家へ帰りたくても、しばらく交通網は寸断されたはずで・・。 親兄弟も近くにおらず、本当に不安・恐怖だったと、想像されます。
そして、まさかの静岡県・御殿場市への一時移転・・。歌づくりを追ったテレビのインタビューで、女子選手が
「知らない土地で、不安でした」
と答えていましたが、本当にそうだったろうと思います。
眼前にそびえ立つ富士山。
震災を経験した彼彼女らの目に、どのように映ったのでしょうか。
御殿場「時の栖」の緑のピッチ。
ホームを離れざるを得なかった彼彼女らは、どのような思いで踏みしめたのでしょうか。
現在彼らが通学する、三島長陵高校のある先生が、こんなことを言っていました。
「あの子たちは、福島を背負っている」
最初この言葉を聞いた時、ピンときませんでした。だって、彼らは全国から集まってきたわけで、けして福島出身、ではありませんので。 でも、彼らと歌づくりを通して言葉を交わしたり、試合の応援に行ったりするうち、先ほどの言葉を実感するようになりました。
歌づくりの第一歩として、選手たちから歌詞のもとになる言葉を募集しました。
これは3年生の女子が寄せてくれた言葉です。
3月11日 14時46分、試合終了の笛が鳴る
福島から静岡へピッチを変え、キックオフの笛が鳴る
命、家族、仲間、友達の大切さを知った
(原文ママ)
先日、現在彼らが生活する「時の栖」で、記念の桜の植樹祭が行われ、僕たちも出席しました。
最後にゴールキーパーで生徒会長のY君が、立派な謝辞を述べたのですが、その中の一言が、今でも胸に突き刺さっています。
「・・・・残念ながら僕たちの在学中に、復興はなりませんでしたが・・・・・」
できれば福島の地で、できれば本来の母校・富岡高校の校舎で卒業を迎えたかった、という思いが、静岡の関係者への感謝の中にも込められているように感じました。
エミーさん、いわく
「福島への強い想いは、震災を経験したからかもしれないね」
地元三島の有力団体。活動資金も潤沢なその方々は、さらに僕たちからも募金を集め、東北へ向いました。
その時のリーダーさんの言葉
「向こうでドンチャン騒ぎしてくる」
たくさん飲み食いしてお金を落としてくる、というわけです。
それは実効性の高い支援の方法でしょう。
でもそれは、僕たちには出来ないこと。
僕たちは僕たちのやり方で、福島・東北と関わっていこうと思います。
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JFAアカデミー福島の選手に帯同し、三島に単身赴任している、富岡高校・瀧本教諭が、
地元ラジオ
「ボイスキュー」に出演されます。
3月14日(木)
昼12:10 くらいから20分ほど。
震災の実体験などを話してくださると思います。
また現在、彼らが通う三島長陵高校の生徒会長・G君も出演。
たぶん僕たちとつくった絆の歌・「♪ この場所で、あなたと」「♪ だから、今」
どちらかが流れると思います。近隣の方、ぜひぜひお聴きください。