東海道五十三次ひとり駅伝・20 「王手!もしくはリーチ。あるいは大晦日」
2011年 11月 21日
きのう走る予定を、天気のことで今日に変更。かわりに昨夜、欠席するつもりだった中学校の同窓会に。
「早退」する冷静さこそあったものの、楽しくてつい飲みすぎたみたい。
でも気分は上々です。さっき、同級生のM子さんから、「水口ちゃん、ファイト!」のメールが! 中学時代、陸上部に所属していたものの、補欠にすらなれなかった落ちこぼれの僕。試合に出場することもなく、従って応援・声援には無縁だったあの頃・・・。
前回走り終えたJR手原駅から、午前9時スタート。
ほんの4~5㎞、草津宿の名物 「うばがもちや」。 場所は移転しましたが、当時と変わらぬ繁盛ぶりでした。
「うばがもちや」 今昔
草津宿は、東海道と中山道の分岐点。その道標の説明を読んでいたら、「ここら、もっと分かりやすうせな、アカンのやけど・・」などと言いながら、声をかけてくれた方がおりました(関西弁は、こんな感じってことで・・)。
草津市在住の小見山さん(77才)。
元・市会議員で、現在は会員70名の「故郷を大切にする会」の会長さん。
12年続けている掃除ボランティアの真っ最中でした。
小見山さんがボランティア活動を始めたのは、16年前に心筋梗塞で倒れたことがきっかけ。
「助けてもらった恩返し、せな」
僕が三島宿からだと言ったら、
「なんや、三島かいな! ワシ、東*におったんや。何度も寄らせてもろうたで」
(東*は、地元を代表する大企業。バレーボールでも有名です)
「奇遇」 というより、「縁」を感じました。中山道への分岐点で・・・。
小見山さんが今奔走してるのが、全国の祭りをこの草津に集めて、一挙公開すること。病気などで遠出できない方に、日本各地の祭りを見せたい、との思いからです。名付けて 「祭り甲子園」。
「その時はぜひ、われら三島の農兵節とシャギリを・・・」とお願いして別れました。
草津本陣。昔のままの貴重な遺跡です。
草津から、大津宿へ。 瀬田の唐橋。
「壬申の乱」以降、様々な戦いの舞台となった橋ですが、マラソンファンには「びわ湖毎日マラソン」でおなじみです。
僕ら世代だと思い出すのは、瀬古 VS 宗兄弟 VS イカンガー。
ちょっと古いですけど、最近はインパクトのある日本人選手がいないので・・・。
9月10日、袋井宿「ど真ん中茶屋」で、東海道を実に6回も歩いた方とお会いしました。その方が、「石山は、駅を突っ切るのが本当の道だから」と言っていました。
いちおう駅前のお巡りさんに聞いたところ、「構内を、『道』と呼べれば、だけど・・」。
ガイドブックに詳細が書いてないのは、そのあたりの微妙さがあるのかも・・・。
ともあれ、JR石山駅の階段を昇ります。
で、この南北自由通路が、東海道・・・・。
石山駅を出てから住宅地を行きますが、この道が分からない!
間違えたかどうかも分からないまま、「膳所城跡公園」。
紅葉と湖水、近江大橋が美しい所でした。
ここからは旧東海道が判明し、安心して進みます。
今日のゴール、「浜大津」まで、あと数キロ。走りのギアをチェンジ。いえ、余裕があったわけではありません。比叡山から吹く風が冷たく、のんびりジョグだと凍えるのです!
気分は「瀬古」で、スピードを上げます。顔はイカンガーだったかもしれませんが。
無事、浜大津到着。びわ湖をゆっくり眺めるつもりだったのですが、とにかく寒い!
30年前、ハンセン君と「第一次・ラリアート」を始めた時、最初のライブでやった曲が 「比叡おろし」 だったことを思い出しました。
京都三条大橋まで、あと12㎞。今日中に行けないこともないのですが、今日はここまで。
26日(土)、「ボイスキュー」がゴールの模様を生レポート させてくれるのです!!
市民ランナーには、なんたる栄誉! 身に余りに余る光栄!!
ですんで、今日はここまで。
さあ、まだ昼メシを食べていない。冷えた体を内から暖めよう。
ここは大津。大津といえば近江。近江といえば、近江牛。牛といえば・・・・僕は、まっすぐマックへ向いました。(真実。チーズバーガー2個購入)
本日の走行距離/約20㎞
11月26日(土) ボイスキュー(FMみしま・かんなみ)
FM77・7MHz
アバウト12時45分~ 京都三条大橋あたりから生レポートです。
静岡県東部の皆様、どうぞよろしくお願いいたします!
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『東海道五十三次ひとり駅伝・膝栗毛』
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