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東海道五十三次ひとり駅伝・11 「重くても軽くても、それぞれの歴史」

東海道五十三次ひとり駅伝・11 「重くても軽くても、それぞれの歴史」_f0211837_1327128.jpg雨上がり、快晴の静岡駅。
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走り出していきなり、アッここ!
「青葉イベント広場」。2003年、24時間テレビで僕たちが生演奏した場所です。その時は、車で行ってそのまま帰ったので、地理を理解していませんでしたが・・そうか、ここだったか。

東海道五十三次ひとり駅伝・11 「重くても軽くても、それぞれの歴史」_f0211837_1331042.jpg静岡駅周辺は、(ガイドブックにも書いてありましたが) 旧東海道を示すものは皆無です。「龍馬が歩いた道? それがどうした」ってとこかな。
安倍川の手前、由比正雪の碑や安倍川餅の看板を見つけ、ようやくこの道でよかったと、ホッ。


一番有名な石部屋さん。まだやってませんでした。


東海道五十三次ひとり駅伝・11 「重くても軽くても、それぞれの歴史」_f0211837_1333228.jpg安倍川を渡り、少し行くと、丸子(鞠子)の宿
いきなり僕は狂喜。僕は学生の時から10数年、川崎市に住んでいたのですが、学生時代はほぼ毎日、卒業してからも3日に一度は通った食堂と、ピタリ同じ名前と字ヅラの食堂を発見。セイシュン時代の僕の血と肉と骨は、「三ちゃん」で製造されたようなもの。嬉しくなってパチリ。で、その後にエッ!? 
ここは、丸子(マリコ)の宿。僕が住んでたのは川崎市の、新丸子(シンマルコ)・・・。


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丸子は、宿場の風情が良い感じで残されています。家々の玄関には、今も屋号(?)が。


東海道五十三次ひとり駅伝・11 「重くても軽くても、それぞれの歴史」_f0211837_13354742.jpg超有名な、とろろ汁の「丁子屋」さん。残念ながら開店前。ま、ここはどのガイドブックにも必ず載ってるし、僕としては、さっきの「丸子の三ちゃん」の方が気になって・・・。




山間部に入ると、宇津ノ谷集落
「宇津ノ谷」というと、静岡県民には渋滞情報でおなじみの名前。そのせいで、正直イメージが悪かったのですが、足を一歩踏み入れたとたん、それは大逆転しました。「いいなあ・・ここ」。かやぶき屋根でもないのに、ああきっとここは昔から、ずーっとこんな感じなんだろうな、と思わせる、しっとり落ち着いたたたずまい。現実の生活が代々営まれてきた本物の味わい深さです。
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ここで大変貴重な出会いがありました。何気なく道をたずねた栄次おじいちゃん。この方が、めっぽう郷土史に詳しい方。先生でもされてたのかと聞くと
「いやあ、ただ歴史が好きなもんで・・・」
大名行列から集落の伝説、さらにご自身の戦争体験まで、1時間近く話を聞かせてもらいました。その話は、どれも驚くべきもの。

若い頃、とても足が速かったそうな。戦時下の「明治神宮大会」(今の国体?)に静岡県代表で出場し、5000m走で全国13位! その健脚から、軍隊では連隊長の伝令を務めたとのこと。
で、終戦。この宇津ノ谷に戻った栄次青年は驚いてしまいました――。(宇津ノ谷には現在、明治・大正・昭和・平成4つのトンネルがあり、レンガづくりの明治トンネルは代表的観光スポットなのですが)、なんと明治トンネルの中に、山と積まれた実弾が隠されていたのです!
東海道五十三次ひとり駅伝・11 「重くても軽くても、それぞれの歴史」_f0211837_13395515.jpgしかし、聞けば結局一発も使われなかったという・・。なぜか―。撃ってしまえば、軍事施設があることを敵に知られてしまう。来たるべき本土決戦のため、軍は温存する道を選んだわけですね・・・。最終的にはGHQに持っていかれたそうですが。

「これは貴重なお話ですねえ。どのガイドブックにも載ってませんでしたが・・・どこかで話したりは?」
「・・・前に役所の人に話したんだけど・・・その人、こんな話には興味なかったみたいで・・どこにも、何にも」
イカンでしょ、これは! こういう話こそ、きちんと残しておかねば!!

おじいちゃんの部隊の大半はフィリピンへ向い、そこで全員玉砕。
「だから、まあ・・運がいいって言えるんだけど・・・。でも、ねえ・・。とにかく、あれは・・みじめな戦争でしたよ」
ずっと無表情だったおばあちゃんの顔が、その時だけ小さく動きました。

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これが明治トンネル。
僕が着いた時、ちょうど観光バスの団体客がワイワイ集合写真を撮っていました。
ここに大量の実弾が隠されていたなんて・・知るよしもなく。






地味だけど良い雰囲気の岡部宿を抜けて、藤枝宿
ここで食べたかったのが、「瀬戸の染飯(そめい)」。こわ飯をクチナシで染めた、昔定番の携行食。五十三次を行くなら押さえておきたいものですが、ぶっちゃけ美味しくはありません。東海道五十三次ひとり駅伝・11 「重くても軽くても、それぞれの歴史」_f0211837_13572694.jpgこんな時は、おなじみ(?)の龍馬に登場してもらいましょう。「これを龍馬が食べたと思えば!」

藤枝に来るのは20年ぶりだと、今朝まで思い込んでいました。けれど公園で染飯を食べてる時、10年前にも来ていたことに気づきました。「車イスのシンガーソングライター」として当時活躍されていた方の学校コンサートに、ギターサポートとして、です。
翌日の朝一番、僕は初のニューヨーク行き。早く帰って旅仕度をしなくちゃならないのに、その日は東名の集中工事。国道1号線、渋滞で有名な宇津ノ谷トンネルを何とか早く抜けようと、気がせいてせいて・・。今日、宇津ノ谷で会ったのは「栄次」おじいちゃん。車イスのシンガーソングライターの名前は、吉川「英二」さん。ハイ、話が見事につながりました! (あとで調べたら、訪れたのは「藤枝葉梨中学校」でした)

東海道五十三次ひとり駅伝・11 「重くても軽くても、それぞれの歴史」_f0211837_13581836.jpgゴールは、島田宿。ここで滅多に会えない方とお会いするはずが、手違いで来週の出発時に変更です。駅近くの大井神社でお祈りをすませ、本日の旅はオシマイ。
(大井神社は、安産祈願で有名なんですけど・・・ね)


本日の走行距離/寄り道、回り道こみで、約30㎞


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  『東海道五十三次ひとり駅伝・膝栗毛』
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  東海道五十三次ひとり駅伝

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by G-lariat | 2011-08-27 21:06 | 東海道五十三次 | Comments(0)

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