生きてるか!? 「最悪」!
2011年 03月 13日
壊滅的被害の大船渡に、知り合いが一人・・・・いるかも・・いないかも・・・。
30年前、大学生の時に住んでいた川崎市のアパートで隣室だった、たしか2つ年下の男。大船渡駅前の食堂の息子で、当時は調理師学校に通っていました。
東横線の新丸子。伝説のスナック「1/2」(ハーフ。みんな半人前、の意味)に、ほぼ毎日いっしょに飲みに行ってました。そこで彼がつけられたあだ名が、「最悪」。いわゆるワルじゃないし、女ッタラシでもない。要領使いってわけでもない。とにかく洋服のセンスが「最悪」。ドン臭い僕から見ても、ドン臭い男でした。
いつも思い出すシーンがあります。親父さんの体調が芳しくなかった時期、緊急電話の連絡先をこの店に頼もう、と彼は考えました。当時は学生が自室に電話を引くなんてまずなかったし、アパートは取次ぎ不可。快く店のOKをもらった彼は、さっそく実家に知らせようとカウンターの電話。
・・・・・標準語で書きます。
「そう、『ハーフ』って店だから。ここで『最悪』って言えば、すぐ分かるから。そうだよ、最低最悪の、サイアク!」
親御さんに、自分がこの店で「最悪」と呼ばれていることを、堂々と誇らしげにしゃべっちゃう男。純朴というかノーテンキというか・・・やっぱ最悪。愛すべき最悪!
彼はその後、調理師学校を辞め、大船渡に帰ったり、また出てきたりフラフラ。僕は静岡に戻ったし、店は閉店で、会うことはなくなりました。
それが10年ほど前、とつぜん静岡県沼津の駅から電話。会ったところ、案の定、「少し金を貸してくれ」。
飯を食わせ、珍しく説教なんかし、持っていたお金を渡したのですが・・。数日後、新丸子の元マスターに電話したところ、あっちこっちから借りまくってドロンって話。それっきり。
だからいま彼が大船渡にいたのかは分かりません。あんがい歌舞伎町あたりでよろしくやってるのかもしれません。
それならそれで、ヨシ。
奇跡的にこのブログを目にすることがあったら、「最悪」よ、連絡をください。
もう怒ってないから。
貸した2万円は、くれてやるから。
30年前、アパートの前で
こんな状況だから本名を出しても許されると思います。
高橋寿之くん。
50歳くらい。そのままなら、ハゲてます。もし情報があったら教えてください。
長髪がまぶしい30年前の僕。
今も世話になってるマスター&ママと。
サイアクなお友達が故郷に帰っているにせよ、いないにせよ、
そのご家族やご親戚は被災されたんでしょうから、心配ですね。
サイアクくんも、もしこっち(東京とか)で元気にしているなら、
もう少し落ち着いてから故郷へ帰って今までの恩返し(罪滅ぼし?)をするといいかもしれませんね。
東海、首都直下・・・・経験したくないですね。
停電3時間くらいでブツブツ言っちゃ、バチが当たりますね。